代表あいさつ
弊社は昭和23年9月に創業し、今年で77年目となる企業です。
日本の南にいつまでも明るく輝く星のように祖国を照らす存在でありたい、という願いを込め屋号を南星とし、今日まで熊本の皆様に支えられながら歩んで参りました。創業当初は機械製造業からスタートし「ものづくり」が本業でしたが、時代の流れと共に業態を変え、現在は「ひとづくり」を通して社会の役に立つ事を目指して「研修事業」「事業承継支援サービス事業」を展開しております。
研修事業としましては、100年企業の経営者様を直接訪問し100年以上続くビジネスの真髄を集め、売上げを立てる独自のコンテンツを創り上げ「100年企業マーケティング伝承術」と称し、起業家の皆様へご提供致しております。
事業承継支援サービス事業としましては、人材にお困りの経営者様へ「The・番頭」と称し、経営者の右腕の紹介サービスを展開しております。
2つの事業を通して日本の元気の一助となり、南星の名に恥じぬよう社員一同これからも挑戦を続けて参ります。
代表取締役 宮部康弘
事業への想い
私の父は小さな電気店を営んでいました。
昭和50年代はリモコンテレビやオーディオの販売が好調な時代で経営も順調だったようです。外車に乗り、毎晩のように飲み歩き、家にはほとんど居ませんでした。また、そんな父を支えるため母も夜遅くまで働き、私と弟は家族団らんとは無縁の家庭で育ちました。私が10歳の時に両親は離婚し父とは疎遠になりましたが、父は再婚し、自社ビルと大きな家を建てその後も経営は順調であったと思います。
私が30歳の時、父の会社が倒産したと聞きます。負債総額は十数億円。私は心配になり会いに行きました。競売にかけられ、電気も止められた自社ビルの広いフロアにポツンと置かれた社長席に座り、少し照れ気味で私を迎えてくれた父の姿が今でも目に焼き付いています。それから4年後、借金を抱えたままガンでこの世を去りました。
今、日本では1年間に約5万件の会社が廃業するという厳しい現実があります。
赤字により廃業する会社は「45.7%」
黒字のまま廃業する会社は「54.3%」
※国税庁統計情報
廃業の形は大きく分けて2つあります。売上が立たず廃業になる「売上不足」、もう1つは継ぐ人がおらず廃業になる「人不足」です。
この2つの不足が廃業へ繋がります。私の父は売上不足から資金繰りができず廃業へと繋がりました。人不足からの廃業についてはイメージしにくいので、弊社の事例で簡単に説明させていただきます。
弊社は今年で創業77年目を迎えました。私は代表就任7年目、先代の息子ではありません。私は元々保険の外交員をしており、先代は保険のお客様でした。保険契約をいただいた3年目に先代はガンになられました。5年後の生存率が数%というガンです。それから先代はガン治療を行いながら経営者として必死に生きられました。
抗がん剤により右足がパンパンに腫れ上がり松葉杖をつきながら出社したり、視神経へのダメージで目が見えづらくなり通勤中に事故を起こしたり、高熱で意識が朦朧とするなかでベッドの上からメールで指示判断を下したり、余命宣告を受け自分の命が終わる儚さ、恐怖と戦いながら、経営者として最後まで弊社を守り抜かれました。
私は保険担当者として先代の必死さを目の当たりにし、何もできない自分に歯がゆい想いをしました。
なぜ?先代はこのような壮絶な人生を送らないといけなかったのか・・・
余命宣告を受けたのであればもっと残りの時間を有意義に使えたのではないか・・・
それができなかった理由があります。
それが人不足です。つまり、後継者がいなかったからです。
先代が亡くなる1ヶ月前、私に後継者としての意思確認がありました。もし、私がそれを断っていたら弊社は廃業になったでしょう。弊社も黒字のまま廃業する会社54.3%に入っていました。
私は廃業の形を目の当たりにする経験をし、この2つの廃業を日本から無くしたい、父や先代のように辛い想いをする経営者を無くしたい、と考えるようになりました。ではどうしたら廃業を無くせるのか?売上不足の解決策は?人不足の打開策は?
この答えを見つける為、2018年からリーダースプロジェクトと称して事業を展開してきました。そして沢山、失敗してきました。
ある社長からはこの事業は必ず失敗する、と2時間説得された事もありました。これで行ける!と意気込み、時間をかけ事業を再構築し、セミナー参加者0という結果もありました。
またダメか・・・。いや、まだまだ。やっぱりダメか・・・いや、まだできることはある!
そして、6年間の試行錯誤の末、見つけた答え。
それが100年続く会社の存在でした。
創業から100年続く会社はわずか1%にも満たない。
少ないながらも2つの廃業を100年乗越えてきた事実がそこにありました。
100年以上売上を立て続けた秘訣は何か?
3代以上に渡り事業を承継できた社風はどのようなものか?
家訓、社訓は?独特のしきたりはあるのか?
それから私たちは100年続く会社にアポイント取り、実際に訪問し社長から直接話を伺いました。50社を訪問した頃には門外不出の教えや経営を継続できた秘訣など、貴重な生の情報が手元に残り始めました。この教えは私自身の経営に対する価値観に大きな影響を与えてくれました。
今回お届けする「100年企業のマーケティング伝承術」「The・番頭」は、私たちが長い時間をかけ、試行錯誤し、多くの方々から支援を受け、やっと見つけた答えです。
日本から廃業を無くす
この事業を通して、社会のお役に立つことができれば父もきっと喜んでくれると思います。この場を借りて、お忙しい中ヒヤリングにご協力いただきました100年企業経営者の皆様に心から御礼を申し上げます。
企業理念
ミッション
「人」づくりを通して世の中に貢献し、
関わる全ての「人」たちが安心と幸せを感じる100年続く会社を目指します。
ビジョン
日本社会から“もったいない”廃業をなくす。
バリュー
-
Challenge
変化を恐れず、チャレンジし続けます!
-
Active
受け身にならず、自律的・能動的に行動します!
-
Share
社会に継続的に価値を提供し、幸せを分かち合います!
-
Happy
お互いの成長を支え合い、幸せの連鎖を実現します!
会社概要
- 商号
- 株式会社 南星
- 設立
- 昭和23年(1948年)9月3日
- 資本金
- 1億円
- 電話番号
- 096-355-1700
- 業種
- 人材育成事業、学習支援事業、事業承継支援サービス業
有料職業紹介事業(許可番号:43-ユ-300184)、不動産賃貸業
- 社員数
- 8名 令和6年9月現在
- 代表者
- 代表取締役 宮部 康弘
沿革
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1948 (昭和23年)
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9月3日
- 熊本市本荘町に株式会社南星工作所創立(資本金20万円)
- 初代社長 西郷 博 就任
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1958 (昭和33年)
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11月
- 南星機械販売株式会社 設立
- 熊本市十禅寺に新工場開設
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1962 (昭和37年)
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11月
- 資本金1,000万円に増資
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1973 (昭和48年)
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4月
- 南星機械販売株式会社を合併し、
株式会社南星として発足(資本金6,500万円)
- 南星機械販売株式会社を合併し、
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1975 (昭和50年)
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6月
- 資本金3億円に増資
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1978 (昭和53年)
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3月
- 関連企業 有限会社南星企業設立
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6月
- 2代目社長 西村 純義 就任
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1979 (昭和54年)
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9月
- 関連企業 南星電機株式会社設立
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1980 (昭和55年)
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10月
- 南星電機株式会社 菊池郡泗水町にIC工場完成
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1986 (昭和61年)
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7月
- 3代目社長 林田 禮三 就任
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1996 (平成8年)
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6月
- 4代目社長 坂本 俊美 就任
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2002 (平成14年)
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10月
- 本社を菊池市泗水町へ移転
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2005 (平成17年)
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1月
- 資本金1億円に減資
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2006 (平成18年)
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3月
- 5代目社長 荒木 幹雄 就任
- 6代目社長 西村 和子 就任
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2014 (平成26年)
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9月
- 南星電機株式会社を吸収合併
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2018 (平成30年)
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1月
- 本社を菊池市から熊本市中央区上通町へ移転
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8月
- 「リーダースプロジェクト」スタート
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11月
- リーダー育成プログラム(後継者育成プログラム)提供開始
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12月
- 7代目社長 宮部 康弘 就任
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2019 (平成31年)
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3月
- パートナー企業(後継者不在企業)登録募集開始
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2021 (令和3年)
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12月
- 「廃業寸前の会社を打ち出の小槌に変える・オーナー社長の最強引退術」
(宮部康弘著・幻冬舎)出版
- 「廃業寸前の会社を打ち出の小槌に変える・オーナー社長の最強引退術」
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2022 (令和4年)
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1月
- 熊本県SDGs登録事業者 認定
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6月
- 後継者第1号輩出
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2023 (令和5年)
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8月
- 後継者第2号輩出
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10月
- 日本リスキリングコンソーシアム参画
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2024 (令和6年)
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1月
- DiSC®認定講師3名合格 アセスメント事業開始
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4月
- ヘルスター健康経営企業 認定
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9月
- 「100年企業マーケテイング伝承術」、「The・番頭」提供開始
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